【ウイイレアプリ】2019レジェンド選手一覧と伝説と呼ばれる所以

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ウイイレアプリでは現役選手の他にも、過去に輝かしい実績を収め、伝説と呼ばれている選手たちがレジェンド選手として続々と登場しています。

ウイイレアプリ2019に登場したレジェンド選手一覧と伝説と呼ばれる所以をまとめました。

ウイイレアプリ2018に登場したレジェンド選手一覧はこちら

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※2018年12月28日に公開した記事ですが、リライト記事に必要な文言等を追記、その他の部分も修正して2019年6月14日に再度公開しました。

LEGENDS: Worldwide 2019/06/13

開催期間 : 2019/06/13 2:00 – 2019/06/20 1:59(UTC)

2019/1/31に開催されてから約4ヵ月半ぶりとなる「LEGENDS: Worldwide」のBox Drawが開催されました。

下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ディエゴ・マラドーナ
  • パオロ・マルディーニ
  • ケニー・ダルグリッシュ
  • パトリック・ヴィエラ
  • ガブリエル・バティストゥータ
  • ポール・スコールズ
  • ローター・マテウス
  • デヤン・スタンコヴィッチ
  • ロビー・ファウラー
  • フレドリク・ユングベリ

LEGENDS: Spanish Clubs 2019/6/6

開催期間 : 2019/6/6 3:00 – 2019/6/13 1:59(UTC)

スペインのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: Spanish Clubs」が開催されました。

下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ヨハン・クライフ
  • ロナウジーニョ・ガウーショ
  • ロマーリオ
  • デイヴィッド・ベッカム
  • ロベルト・カルロス
  • ルイス・フィーゴ
  • カフー
  • スティーヴ・マクマナマン
  • イバン・サモラーノ
  • エマヌエル・プティ

LEGENDS: Italian Clubs 2019/5/30

開催期間 : 2019/5/30 3:00 – 2019/6/6 1:59(UTC)

イタリアのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: Italian Clubs」が開催されました。

下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ジーコ
  • フランコ・バレージ
  • ガブリエル・バティストゥータ
  • フランチェスコ・トッティ
  • ハビエル・サネッティ
  • アレッサンドロ・デル・ピエーロ
  • ジーダ
  • ワルテル・サムエル
  • エステバン・カンビアッソ
  • クリスティアン・アッビアーティ

2nd Anniversary Celebration

開催期間 : 2019/5/23 3:00 – 2019/7/8 1:59(UTC)

ウイイレアプリ2周年を記念して、特別なエージェント「2nd Anniversary Celebration」が配布されました。

下記の11人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ジーコ
  • パオロ・マルディーニ
  • ルート・フリット
  • ガブリエル・バティストゥータ
  • アドリアーノ
  • フランチェスコ・トッティ
  • アルバロ・レコバ
  • フランチェスコ・トルド
  • パトリック・クライファート
  • ワルテル・サムエル
  • ダニエレ・マッサーロ

LEGENDS: Italian Clubs 2019/5/23

開催期間 : 2019/5/23 3:00 – 2019/5/30 1:59(UTC)

イタリアのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: Italian Clubs」が開催されました。

下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ロナウジーニョ・ガウーショ
  • パオロ・マルディーニ
  • ルート・フリット
  • パヴェル・ネドヴェド
  • アドリアーノ
  • フランチェスコ・トッティ
  • ローター・マテウス
  • ユーリ・ジョルカエフ
  • リュドヴィク・ジュリ
  • ダニエレ・マッサーロ

LEGENDS: Worldwide 2019/5/22

開催期間 : 2019/5/22 2:00 – 2019/5/23 1:59(UTC)

24時間限定の「LEGENDS: Worldwide」が開催されました。

今回はBox Drawではありませんでしたが、GOLD BALL+となっていて、ブラックボールの選手が20名(10%)、ゴールドボールの選手が90名(90%)の確率ガチャでした。

また、今回は1回1名100myClubコインとなっていて、GPでガチャを回すことはできませんでした。

下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ヨハン・クライフ
  • オリヴァー・カーン
  • フランコ・バレージ
  • スティーヴン・ジェラード
  • パトリック・ヴィエラ
  • ケヴィン・キーガン
  • パク・チソン
  • パトリック・クライファート
  • ソル・キャンベル
  • ベベト

LEGENDS: Worldwide 2019/5/8

開催期間 : 2019/5/8 2:00 – 2019/5/9 1:59(UTC)

24時間限定の「LEGENDS: Worldwide」が開催されました。

今回はBox Drawではありませんでしたが、GOLD BALL+となっていて、ブラックボールの選手が20名(10%)、ゴールドボールの選手が90名(90%)の確率ガチャでした。

また、今回は1回1名100myClubコインとなっていて、GPでガチャを回すことはできませんでした。

下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ヨハン・クライフ
  • オリヴァー・カーン
  • フランコ・バレージ
  • スティーヴン・ジェラード
  • パトリック・ヴィエラ
  • ケヴィン・キーガン
  • パク・チソン
  • パトリック・クライファート
  • ソル・キャンベル
  • ベベト

LEGENDS: Spanish Clubs 2019/5/2

開催期間 : 2019/5/2 2:00 – 2019/5/9 1:59(UTC)

スペインのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: Spanish Clubs」が開催されました。

初登場のレジェンド選手リカルド・ローシャを含め、下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

※ゲーム内のエージェント説明では、デニウソンも今回初登場となっていますが、デニウソンは過去(2019/1/31に開催された「LEGENDS:Worldwide」)に登場したことがあります。

  • リカルド・ローシャ
  • ディエゴ・マラドーナ
  • ロマーリオ
  • デイヴィッド・ベッカム
  • ロベルト・カルロス
  • ルイス・フィーゴ
  • カフー
  • リュドヴィク・ジュリ
  • マイケル・オーウェン
  • デニウソン

リカルド・ローシャ

元ブラジル代表。ポジションはセンターバック。

1991-93年はスペインのレアル・マドリードでプレーし、コパデルレイの優勝を経験。

ブラジル代表として1990年FIFAワールドカップ、1994年FIFAワールドカップに出場。

1994年大会ではブラジルは優勝したが、初戦のロシア戦で負傷し、以降の試合を欠場しました。

LEGENDS: Worldwide 2019/4/25

開催期間 : 2019/4/25 3:00 – 2019/5/2 1:59(UTC)

イタリアのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: Worldwide」が開催されました。

初登場のレジェンド選手ディエゴ・ルガーノを含め、下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ディエゴ・ルガーノ
  • ジーコ
  • オリヴァー・カーン
  • スティーヴン・ジェラード
  • パヴェル・ネドヴェド
  • アドリアーノ
  • ポール・スコールズ
  • ハビエル・サネッティ
  • マルセロ・サラス
  • ジウベルト・シウバ

ディエゴ・ルガーノ

元ウルグアイ代表。ポジションはディフェンダー。主にセンターバックであるが、サンパウロ在籍時には左サイドバックとしてプレーしたこともあります。

2006年8月21日、トルコのフェネルバフチェに移籍。契約期間は3年間(1年のオプション付き)で、移籍金は750万ユーロと報じられています。

エドゥ・ドラセナとセンターバックのコンビを組み、クラブ創設100周年の記念年となる2006-07シーズンにはリーグ制覇に貢献

ルガーノは頻繁に攻撃参加することで名高く、セットプレーの際には前線で待機してヘディングでゴールを狙いました。

守備のしつこさやセットプレー時の壮観さはサポーターに愛され、Talento=才能、Orgullo=誇り、Tecnico=技術、Ambicion=野心のすべてを兼ね備えた選手という意味でTOTAと呼ばれました。

2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、決勝トーナメント1回戦のセビージャFC(スペイン)戦でヘディングシュートを決め、クラブ初の準々決勝進出に貢献。

2008-09シーズン終了後にはフェネルバフチェとの契約が満了し、SSラツィオ、ACFフィオレンティーナ、ASローマ、アヤックス・アムステルダムなどがルガーノ獲得に動いたものの、フェネルバフチェとの4年間の新契約にサインしました。

ウルグアイ代表としては、サンパウロFCに在籍していた2004年、ホルヘ・フォサーティ監督によってウルグアイ代表に初招集され、カールスバーグ・カップのイラン戦でデビューしました。

公式戦デビューは2006 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ戦でした。

その後レギュラーの座を獲得し、2006年のイングランド戦で初めてキャプテンマークを腕に巻きました。

2007年のコパ・アメリカ2007ではメキシコに次ぐ4位となり、2010 FIFAワールドカップ・南米予選ではウルグアイ代表のキャプテンを務めました

この南米予選では全18試合に出場し、2008年6月14日のベネズエラ戦で挙げた代表初得点を含めて、計3得点を挙げました。

2010 FIFAワールドカップ本大会でもキャプテンを務め、6試合に先発出場。

準々決勝のガーナ戦まではフル出場を続けていたものの、この試合の前半で負傷し途中交代した。

続く準決勝のオランダ戦は欠場したが、3位決定戦のドイツ戦には復帰し先発出場。

敗れはしたものの、ウルグアイの40年ぶりのベスト4進出の立役者となりました。また、同大会では最優秀キャプテンに選出

コパ・アメリカ2011でもキャプテンとして全6試合にフル出場。ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献。

2011年10月7日、2014 FIFAワールドカップ・南米予選初戦のボリビア戦で、自身初となる1試合2得点を記録しました。

LEGENDS: English Clubs 2019/4/4

開催期間 : 2019/4/4 3:00 – 2019/4/11 1:59(UTC)

イギリスのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: English Clubs」が開催されました。

初登場のレジェンド選手ロベール・ピレス、ソル・キャンベル、エマヌエル・プティ、フレドリク・ユングベリ、ジウベルト・シウバを含め、下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • ロベール・ピレス
  • ソル・キャンベル
  • エマヌエル・プティ
  • フレドリク・ユングベリ
  • ジウベルト・シウバ
  • デイヴィッド ベッカム
  • スティーヴン ジェラード
  • ポール スコールズ
  • ケニー ダルグリッシュ
  • ケヴィン キーガン

ロベール・ピレス

元フランス代表。ポジションはミッドフィールダー(サイドハーフ、センターハーフ)。

1996年にフランスリーグカップで優勝し、この活躍によりフランス代表に招集され、1996年8月31日のメキシコ戦で代表デビューを果たしました。

また同年開催のアトランタオリンピック代表メンバーにも選ばれ、準々決勝まで進出しました。

1997-98シーズンには最終節で優勝を逃したものの、国内リーグでのクラブ歴代最高成績の2位を記録

この年のワールドカップ・フランス大会の決勝トーナメント1回戦・パラグアイ戦では、ゴールデンゴールとなったローラン・ブランのゴールをアシストし、優勝への過程に貢献。

ワールドカップ後、フランスのマルセイユに移籍。1998-99シーズンはUEFAカップで準優勝、国内リーグでも2位と好成績を残しました。

UEFA EURO 2000に臨むフランス代表に選出され、決勝戦ではダヴィド・トレゼゲのゴールデンゴールをアシスト。フランス代表の優勝に貢献

2000年にイングランド・プレミアリーグのアーセナルへ移籍。移籍当初は水が合わず思うような活躍が出来なかったが、2001-02シーズンにはフランス代表でも共にプレーするティエリ・アンリ、パトリック・ヴィエラらと共に主力として活躍し、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成しました。

またこのシーズンは記者選定による最優秀選手に選ばれるなど、代表とクラブ双方にとって不可欠な存在となりました。

これらの活躍ぶりから2002年のワールドカップ・日韓大会でもフランス代表の主力メンバーとして期待されていたが、大会前に右膝の靭帯断裂という大怪我を負い選考から外れました。

ソル・キャンベル

元イングランド代表。ポジションはDF。

イングランド代表チームのバックラインを支えたディフェンダー。一時期は代表でキャプテンを務めたこともある。

1996年5月18日のハンガリー戦で代表デビューを果たし、その後1998年のフランスW杯では守備の要を担った

2002年の日韓W杯、2004年のEURO2004にも出場した。

2001年にアーセナルへ加入。2005年に不調の時期があったが、2006年に入ってからは本来の調子を取り戻し、チャンピオンズリーグ決勝のFCバルセロナ戦では先制点を挙げたが、チームは準優勝に終わりました。

エマヌエル・プティ

元フランス代表。選手時代のポジションはMF(ボランチ、センターハーフ)、DF(センターバック)。現テレビコメンター。

1985年にフランス・リーグ・アンのASモナコでキャリアをスタート。

長髪を束ねたポニーテールでプレーする姿が印象的な選手で、主にボランチとして攻守の両面に渡って貢献しました。

1990年にはフランス代表に招集され、以来フランス代表の核として活躍

1998年のフランスW杯やEURO2000では優勝に貢献し、1998年のフランスW杯では決勝のブラジル戦で3点目を決めています

また、フランスがワールドカップ初制覇をした際のスターティングメンバーでフランスにルーツを持つ唯一の選手がプティでした。

その後、イングランド・プレミアリーグのアーセナルFCへ移籍。アーセン・ベンゲル監督の下でチームの優勝などに貢献しました。

2000年にはリーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに加入するがロレンソ・セラ・フェレール監督の構想に合わなかったため出場機会を失い、1シーズンでチェルシーFCへ移籍。

1年目は活躍するが、チームがロマン・アブラモビッチオーナーに買収された後は選手層の厚さもあって常時出場できず、故障も重なって2005年1月に引退を表明しました。

フレドリク・ユングベリ

元スウェーデン代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。セカンドトップ、ウイング、トップ下、サイドハーフ、センターハーフをこなします。

1998年、プレミアリーグのアーセナルFCに移籍。移籍金300万ポンドは当時のスウェーデン人選手史上最高額でした。

途中出場したマンチェスター・ユナイテッドFC戦で初得点を決め、デビュー戦を3-0の勝利で飾りました。

2001年のFAカップ決勝ではリヴァプールFCと対戦し、イングランド国外の選手として初めて同大会決勝での得点を記録したが、試合には敗れて準優勝に終わりました。

2001-02シーズンは最高のコンディションを維持し、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成

FAカップ決勝ではチェルシーFCと対戦し、史上初めて2年連続で同大会決勝での得点を記録しました。

2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで決勝に進出し、怪我を押してFCバルセロナとの試合に出場しました。

2008年にはアーセナルFCのファンが選ぶベストプレーヤーの11位に選出

2011年8月27日、清水エスパルスと契約したことがFIFA公式サイトなどで報道され、清水の早川巌会長が正式にユングベリの獲得を発表。2013年1月までの契約で、推定年俸は6000万円でした。

しかし2012年2月14日、清水は怪我の治療の為に帰国中のユングベリとの契約を解除すると発表しました。

スウェーデン代表としては、1997年1月24日、フロリダ州オーランドで行われたアメリカ戦でデビュー。

1998年5月28日、マルメで行われたデンマークとの親善試合で初得点を挙げました。

チームメイトのDFオロフ・メルベリとは犬猿の仲として有名であり、2002 FIFAワールドカップ前の合宿中には取っ組合いのケンカをしました。

2002 FIFAワールドカップでは腰の故障で目立った活躍ができなかったが、2004年のUEFA EURO 2004は準々決勝まで全試合にフル出場

2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、ズラタン・イブラヒモビッチ、ヘンリク・ラーションそしてユングベリの3人でチームの3分の2のゴール数をたたきこみ、本大会出場に貢献しました。

ジウベルト・シウバ

元ブラジル代表。ポジションはミッドフィールダー。「ブラジルの見えない壁」との異名を持つ選手です。

2002 FIFAワールドカップ・南米予選では全く無名の存在だったものの、本大会ではエメルソンの負傷により、レギュラーとして、ワールドカップ優勝に貢献、2006 FIFAワールドカップでも2試合に出場し、2010 FIFAワールドカップ・南米予選でもプレーしました。

アーセナルFCには2003-04シーズンから、6シーズン在籍、プレミアリーグ制覇、2回のFAカップ制覇などのタイトル獲得に貢献しました。

2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ準優勝、2006-07シーズンは副キャプテンとして34試合で10得点を決めました。

LEGENDS: Italian Clubs 2019/3/14

開催期間 : 2019/3/14 3:00 – 2019/3/21 1:59(UTC)

イタリアのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: Italian Clubs」が開催されました。

初登場のレジェンド選手フランコ・バレージ、ジーダ、ダニエレ・マッサーロ、クリスティアン・アッビアーティを含め、下記の11人のレジェンド選手が対象となりました。

  • フランコ・バレージ
  • ジーダ
  • ダニエレ・マッサーロ
  • クリスティアン・アッビアーティ
  • パオロ・マルディーニ
  • ルート・フリット
  • ガブリエル・バティストゥータ
  • フランチェスコ・トッティ
  • ハビエル・サネッティ
  • アレッサンドロ・デル・ピエーロ
  • 中田・英寿

フランコ・バレージ

元イタリア代表。選手時代のポジションはディフェンダー。

現役生活の通じてACミランでプレーし、セリエA優勝6回、スーペルコッパ・イタリアーナ優勝4回、UEFAチャンピオンズカップ優勝3回、UEFAスーパーカップ優勝3回、インターコンチネンタルカップ優勝2回、FIFAワールドカップ優勝1回、1980年代から1990年代にかけて活躍しました。

ディフェンダーとしては決して体格に恵まれていたわけではなかったが、リべロとしてのプレーぶりは優雅さを兼ね備え、的確な読みで相手の攻撃の芽を摘み、相手陣内深くドリブルで切り込むこともありました。

特に戦術眼と読みの鋭さはそれこそ一級品で、他の追随を許さないレベルにあり、長年彼が背負った背番号「6」は、引退後にクラブの永久欠番となっています

1989年にはバロンドールの投票で第2位となるなど、バレージは不動のディフェンスリーダー、キャプテンとしてチームを纏め上げ、1989-90のコパイタリアでは7試合4得点とDFながらトップスコアラーにもなっています。

1990年にはユベントス、レアルマドリードが獲得を試みたが、3年間の契約延長。1991-92、92-93、93-94とセリエA3連覇に貢献し、特に1991-92は無敗での優勝を成し遂げました。

1997年6月23日、自身の体力の衰えを理由に現役引退を発表。同一クラブにおける通算試合出場数「541」は、パオロ・マルディーニ、ハヴィエル・サネッティに続いて、セリエA歴代3位の記録となっています。

ジーダ

ジーダ(Dida)ことネウソン・デ・ジェズス・シウヴァは、元ブラジル代表の選手でポジションはゴールキーパー。

ジーダといえばPKストップを言われるほど阻止率が高く、足をゴール中央に残して長い腕でサイドをカバーする独特のスタイルが有名です。

1999年にコリンチャンスへ移籍し、2000年にサンパウロとリオデジャネイロで行われたFIFAクラブ世界選手権で優勝を果たしました。

決勝では同じブラジルのCRヴァスコ・ダ・ガマと対戦し、PK戦までもつれた末に4-3(PK)で下し、優勝に貢献しました。

またコリンチャンスでは、PK8回連続ストップの偉業を成し遂げています

その直後にACミランへ移籍し、2002-03シーズンにはクリスティアン・アッビアーティからレギュラーを奪取。カルロ・アンチェロッティ監督の信頼にこたえて、リーグ30試合に正GKとして出場しました。

リーグは3位で終えたものの、UEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアの2冠を達成。チャンピオンズリーグ決勝ではユヴェントスとのPK戦で自身のセーブ、相手のミス併せて3度シュートを防ぎ、3-2で勝利を掴みました。

翌2003-04シーズンもリーグ32試合に出場。圧倒的な強さでミランはスクデットを獲得し、ジーダも大きく貢献しました。

ダニエレ・マッサーロ

元イタリア代表。ポジションは主にFW、初期は主にMF、DFを務めたこともあります。

フィオレンティーナで5シーズンを過ごした後、1986年にACミランへ移籍。

1988-89シーズンにASローマへローン移籍したものの8シーズンに渡ってミランに在籍、途中出場で度々得点を決めるなど、ミランの黄金期を支え、決勝ゴールを挙げることが多かったことから「決勝点の男」の異名を取りました。

また、困難な状況に追い込まれた試合でも勝利に貢献し、ミランのファンから「プロビデンス」というニックネームが付けられました。

ファビオ・カペッロの監督就任後は本格的にFWとして起用されるようになり、1991-92シーズンは9得点を挙げ、ミランの優勝に貢献しました。

特に1993-94シーズンは、マルコ・ファンバステン、ジャン=ピエール・パパンの怪我などの中、トヨタカップでのサンパウロFCとの対戦で先発出場し、1ゴール1アシストの活躍後は、レギュラーの座を掴み、パルマやUCサンプドリアといった優勝を争うチームや、インテルとのダービーなどで決勝点を決めるなど、リーグ戦ではチームとトップの11得点を挙げ、ミランの3連覇に貢献しました。

またチャンピオンズリーグでも準決勝のASモナコとの試合で得点、FCバルセロナとの決勝では2得点を挙げ優勝に貢献しました。

インテル会長のエルネスト・ペッレグリーニから白紙の小切手を提示され、「給料の2倍を書いてくれ」と、インテルなどセリエAの他チームからのオファーを受けたが、1995年にJリーグ・清水エスパルスへ移籍しました。

クリスティアン・アッビアーティ

元イタリア代表。選手時代のポジションはゴールキーパー。

1994年にモンツァでプロデビュー。1996年からはレギュラーに定着し、1998年7月1日に当時ACミランを率いていたアルベルト・ザッケローニ監督に引き抜かれ移籍しました。

1999年1月17日のペルージャ戦にて、当時ミランで10年以上レギュラーを守り続けていたセバスティアーノ・ロッシの退場処分により急遽出場することになり、セリエAデビューを果たしました。

当時21歳であったが、そのままロッシからレギュラーを奪取しスクデット獲得に貢献しました。また、2000年のU-21欧州選手権では優勝メンバーの一員となりました。

しかし、2002-03シーズンからは頭角を現し始めたジーダにレギュラーを奪われ、控えに降格。チームはそのシーズンにチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアの二冠を達成しました。

その後、ユヴェントス、トリノ、アトレティコ・マドリードへとレンタル移籍が続き、4季ぶりにミラン復帰を果たした2008-09シーズンは、安定したプレーと鋭い反応によるビッグセーブを武器にジーダからレギュラーを奪取しました。

2009-10シーズンは怪我の影響もあって、再度ジーダにレギュラーを奪われてリーグ戦わずか9試合の出場に終わり、大半を控えとして過ごしました。

ジーダが退団した2010-11シーズンは、新加入のマルコ・アメリアがレギュラーを取ると思われていたが、大方の予想を覆し、シーズンを通じて安定したセービングと驚異的な反射神経を披露してレギュラーの座を死守。7年ぶりのスクデット獲得に貢献しました。

LEGENDS: Spanish Clubs 2019/2/28

開催期間 : 2019/2/28 3:00 – 2019/3/7 1:59(UTC)

スペインのクラブで活躍したレジェンド選手が対象の「LEGENDS: Spanish Clubs」が開催されました。

初登場のレジェンド選手リュドヴィク・ジュリを含め、下記の10人のレジェンド選手が対象となりました。

  • リュドヴィク・ジュリ
  • ディエゴ・マラドーナ
  • ヨハン・クライフ
  • ロナウジーニョ・ガウーショ
  • ロマーリオ
  • デイヴィッド・ベッカム
  • ロベルト・カルロス
  • ルイス・フィーゴ
  • パトリック・クライファート
  • ベベト

リュドヴィク・ジュリ

元フランス代表。現役時代のポジションはMF、FW。

1998年にASモナコへ移籍し、右サイドハーフとして活躍しました。その後クラブでキャプテンを務めるようになり、2003-04シーズンのチャンピオンズリーグ準優勝などチームの得点源かつ精神的支柱として活躍し、バロンドールにもノミネートされました

2004年にFCバルセロナへ移籍。その後は2005年のリーガ制覇に主力として貢献しました。

2006年のチャンピオンズリーグでは、準決勝のACミラン戦で決勝ゴールを決めてチームを決勝に導き、決勝のアーセナルFC戦では先発フル出場し、バルセロナの14年ぶり2度目のビッグイヤー獲得に貢献しました。

また、リュドヴィク・ジュリはモン・ドール・アゼルグ・フットの名誉会長を務めており、モン・ドール・アゼルグ・フットはリュドヴィク・ジュリのこれまでの経済援助へ敬意を表して、2006年より本拠地のスタジアムの名称に彼の名を冠したリュドヴィク・ジュリ・スタジアムを使用しています。

LEGENDS: Worldwide 2019/2/20

開催期間 : 2019/2/20 2:00 – 2019/2/21 1:59(UTC)、2019/2/24 2:00 – 2019/2/25 1:59(UTC)

Playing is Believing Campaignを記念して、24時間限定の「LEGENDS:Worldwide」が2回開催されました。

今回はBox Drawではありませんでしたが、GOLD BALL+となっていて、ブラックボールの選手が20名(10%)、ゴールドボールの選手が90名(90%)の確率ガチャでした。

また、今回は1回1名100myClubコインとなっていて、GPでガチャを回すことはできませんでした。

初登場のレジェンド選手パク・チソンを含め、下記の11人のレジェンド選手が対象となりました。

  • パク・チソン
  • ジーコ
  • オリヴァー・カーン
  • スティーヴン・ジェラード
  • ケヴィン・キーガン
  • ポール・スコールズ
  • ローター・マテウス
  • イアン・ラッシュ
  • マイケル・オーウェン
  • スティーヴ・マクマナマン
  • ロビー・ファウラー

パク・チソン

元韓国代表。「酸素ボンベ」と称される程の試合終盤まで走り続けることのできる豊富な運動量とスピードが最大の武器で、ウイイレアプリでもスタミナの能力値が非常に高くなっています。

パク・チソンは、アジア人選手として初めてUEFAチャンピオンズリーグのトロフィーを手に入れ、そして決勝戦でプレーした選手です。

4度のプレミアリーグ優勝を経験し、UEFAチャンピオンズリーグとFIFAクラブワールドカップでも優勝を経験しています。

UEFAチャンピオンズリーグ9年連続9回の出場はアジア人最多、欧州サッカー連盟主催の国際大会に11回出場もアジア人最多です。

FIFAワールドカップではアジア人として初となる2002年、2006年、2010年の3大会連続ゴールを決めました。

LEGENDS: Italian Clubs 2019/2/14

開催期間 : 2019/2/14 3:00 – 2019/2/21 1:59(UTC)

ウイイレアプリ2019へのアップデート後、3回目となるレジェンドガチャは、二度目となる「LEGENDS:Italian Clubs」でした。

初回の「LEGENDS:Italian Clubs」とは、獲得可能な選手が少し異なり、フランチェスコ・トッティと中田・英寿の2人のレジェンドが初登場しました。

  • フランチェスコ・トッティ
  • 中田・英寿
  • ロナウジーニョ・ガウーショ
  • パオロ・マルディーニ
  • デイヴィッド・ベッカム
  • アドリアーノ
  • アレッサンドロ・デル・ピエーロ
  • カフー
  • フランチェスコ・トルド
  • ユーリ・ジョルカエフ
  • ワルテル・サムエル
  • デヤン・スタンコヴィッチ

フランチェスコ・トッティ

元イタリア代表。現役時代のポジションはフォワード、攻撃的ミッドフィールダー。現在はASローマのスポーツディレクターを務めています。

約25年間に亘ってASローマでプレーしたワン・クラブ・マンであり、同クラブの歴代通算最多得点(316得点)および歴代通算最多出場(786試合)の記録を持っています

在籍中セリエAを1度、コッパ・イタリアを2度、スーペルコッパ・イタリアーナを2度それぞれ制覇した経験を持ち、後年には同クラブのキャプテンも務めました。

セリエAにおける通算得点数は歴代2位の250得点、通算出場数は歴代3位の619試合を記録しています。

創造性豊かなプレービジョンと優れた技術、高い得点力で知られたトッティは、ASローマにおける史上最高の選手にして、イタリア史上最も偉大なサッカー選手の一人です。

トッティはイタリアサッカー選手協会が主催する、毎年活躍した選手に表彰される賞であるオスカル・デル・カルチョにおいて、セリアA最優秀選手に2回、イタリア人最優秀選手に5回などにそれぞれ選出されています。

サッカーイタリア代表においては、2007年7月20日に代表引退を表明するまでに計58試合に出場し、準優勝となったUEFA EURO 2000、優勝した2006 FIFAワールドカップではそれぞれ大会選定のオールスターチームにも選ばれました。

2004年には、ペレが選んだ世界の偉大なサッカー選手100人のリストであるFIFA 100にもノミネートされ、2006年にはイタリア共和国功労勲章を受賞しました。

2011年の国際サッカー歴史統計連盟の発表では、トッティはヨーロッパで最も人気のある選手に認定されました。

中田・英寿

元日本代表。ポジションはミッドフィールダー。「ヒデ」の愛称で親しまれています。

アジア年間最優秀選手賞を2回受賞、イタリア政府よりイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ)受章、FIFA100選にも選出されました。

日本代表のFIFAワールドカップ3大会連続出場に貢献し、U-17世界選手権(現在のU-17W杯)、ワールドユース(現在のU-20W杯)、U-23オリンピック、コンフェデレーションズカップ、W杯、以上のナショナルチーム主要世界大会すべてでゴールをあげた唯一の日本人選手です。

LEGENDS: Worldwide 2019/1/31

開催期間 : 2019/1/31 3:00 – 2019/2/7 1:59(UTC)

ウイイレアプリ2019へのアップデート後、2回目となるレジェンドガチャ「LEGENDS:Worldwide」では、パトリック・クライファート、デニウソン、ガブリエル・バティストゥータの3人の初登場レジェンドを含めた合計8人のレジェンド選手がピックアップされました。

レジェンドと同じオランダ、ブラジル、アルゼンチン、ドイツ国籍でシルバーボール以上の選手442人も対象となり、合計450人の選手が獲得対象となるBox Drawエージェントでした。

  • パトリック・クライファート
  • デニウソン
  • ガブリエル・バティストゥータ
  • ヨハン・クライフ
  • ジーコ
  • カフー
  • オリヴァー・カーン
  • ローター・マテウス

パトリック・クライファート

元オランダ代表の前歴代最多得点者。ポジションはフォワード。オランダ語読みに近いクライフェルトと表記されることもあり、現在サッカー指導者です。

アヤックス・アムステルダムの下部組織出身であり、1994年8月21日、18歳の時にトップチームのルイス・ファン・ハール監督に見出され、オランダ・スーパーカップのフェイエノールト戦でデビュー。

この試合でトップチーム初得点を決めると、デビューシーズンの1994-95シーズンは高い得点能力を発揮し、デニス・ベルカンプ、エドガー・ダーヴィッツ、クラレンス・セードルフ、エドウィン・ファン・デル・サールなど同じ下部組織出身の若手選手たちとともにUEFAチャンピオンズリーグで旋風を巻き起こし、優勝を果たしました

ウィーンで行われた決勝のACミラン戦では途中出場して85分に決勝点を決め、クラブにとって22シーズンぶりとなる欧州でのタイトルを獲得しました。

1995年夏にはオランダ・スーパーカップとUEFAスーパーカップというふたつのスーパーカップを制覇し、1995年冬のインターコンチネンタルカップではグレミオFBPAをPK戦の末に破って世界一の座に輝き、1995-96シーズンにはエールディヴィジ2連覇を果たしました。

1997年、ボスマン・ルールを行使してイタリア・セリエAのACミランに移籍し、ユヴェントスとの親善試合で鮮烈なデビュー弾を決めて見せましたが、激しい自動車事故を起こし、運転免許の剥奪と社会奉仕活動を課されました。

1998年8月28日、移籍市場が閉まる直前にスペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナと4年契約を結び、移籍金は875万ポンドでした。

FCバルセロナでは、アヤックスで指導を受けたファン・ハール監督と再会し、1998-99シーズンのリーグ戦を制しました

1999-2000シーズンにはリーグ戦3連覇を逃したものの、チーム内得点王となる15得点を挙げました。

2004年3月4日にはFIFA100に選出され、2004年7月21日にイングランド・プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍、2005年夏にスペインのバレンシアCFに移籍しました。

2006年夏には古巣アヤックスへ復帰する噂もあったが、移籍市場終了直前の8月31日にアヤックスのライバルであるPSVアイントホーフェンと1年契約を結びました。

2007年7月25日、イングランドのシェフィールド・ウェンズデイFCのトライアル受験に誘われたが、これを拒否し、フランス・リーグ・アンのLOSCリール・メトロポールと契約を結び、2008年5月に現役引退を発表しました。

デニウソン

元ブラジル代表。ポジションはミッドフィールダーやウイングなど、左サイドアタッカーとして活躍しました。

地元のサンパウロFCでキャリアをスタートさせるとすぐに頭角を現し、FCバルセロナが注目していたが1998年、当時の世界最高額となる3,200万ユーロの移籍金でリーガ・エスパニョーラのレアル・ベティスに移籍しました。

ブラジル代表としては、1996年に19歳でブラジル代表に選ばれ、FIFAコンフェデレーションズカップ1997ではゴールデンボール賞を受賞しました。

1998年、2002年と2度のワールドカップを経験し、2002年大会では控えながら5試合に出場、トルコ戦でのドリブル等印象に残るプレーをしブラジルの優勝に貢献しました。

1998年大会でも6試合に途中出場し、通算11試合の途中出場はワールドカップ最多となりました。

ガブリエル・バティストゥータ

元アルゼンチン代表で歴代2位の得点記録保持者。ポジションはフォワード。1990年代を代表するフォワードの一人で、長くイタリア・セリエAで活躍し、セリエAの外国人最多通算得点記録も保持しています。

1986年17歳にしてバスケットボールからサッカー選手へ転向、地元のクラブ レコンキスタ・サンタフェと契約。

1987年ニューウェルズ・オールドボーイズへ移籍し、1988年1987-88シーズンにはニューウェルズ・オールドボーイズでリベルタドーレス杯準優勝に貢献しました。

1989年アルゼンチンのリーベル・プレートに移籍し、1989-90シーズンにアルゼンチンリーグ優勝に貢献しましたが、シーズン終了後に同じブエノスアイレスを本拠地とするリーベル最大のライバル、ボカ・ジュニアーズに移籍しました。

ボカ・ジュニアーズでは、ストライカーとして頭角を現し、1990-91シーズンには19試合で11得点を叩き出しました。

1991年セリエA・フィオレンティーナへ移籍し、1994-95シーズンには開幕11試合連続ゴールのセリエA新記録を達成

マヌエル・ルイ・コスタとのコンビが冴え渡り、26得点を挙げアルゼンチン人としてはディエゴ・マラドーナ以来2人目となるセリエA得点王となりました。

翌1995-96シーズンもチーム・個人共に好調を維持し、コッパ・イタリア優勝を達成しました。

2000年5月、スクデット獲得への思いと、破格の移籍金(当時としてはサッカー史上2番目の3,490万ユーロ≒約40.4億円)で同じセリエAのASローマへ移籍しました。

2000-01シーズン、移籍1年目で20ゴールを記録して、ローマの1983年以来18年ぶりのセリエA優勝に貢献しました。

アルゼンチン代表としては、1991年6月27日に対ブラジル戦でデビューを飾り、コパ・アメリカ・チリ大会では6ゴールを挙げ、アルゼンチン代表を優勝へ導き、個人タイトルとして得点王も獲得しました。

1993年コパ・アメリカ・エクアドル大会では決勝戦での2ゴールなどで、アルゼンチンの大会2連覇に貢献し、1995年コパ・アメリカ・ウルグアイ大会でも得点王となりました。

二大会連続でハットトリックを達成するなど、アルゼンチン代表として78試合56得点の成績を残しました。

LEGENDS: Italian Clubs 2018/12/27

開催期間 : 2018/12/27 3:00 – 2019/1/3 1:59(UTC)

ウイイレアプリ2019へのアップデート後、初めてとなるレジェンドガチャ「LEGENDS:Italian Clubs」では、イタリアのクラブに所属していた11人のレジェンド選手が登場しました。

現在活躍中のシルバーボール以上の選手439人も対象となり、合計450人の選手が獲得対象となるBox Drawエージェントでした。

  • アドリアーノ
  • アルバロ・レコバ
  • パオロ・マルディーニ
  • ルート・フリット
  • パヴェル・ネドヴェド
  • ハビエル・サネッティ
  • フランチェスコ・トルド
  • エステバン・カンビアッソ
  • ユーリ・ジョルカエフ
  • ワルテル・サムエル
  • デヤン・スタンコヴィッチ

アドリアーノ

元ブラジル代表。ポジションはフォワード。ニックネームはインペラトーレ(葡: Imperador、皇帝)。

CRフラメンゴに在籍中の2001年に同年のワールドユースなどでの活躍がスカウトの目に留まり、セリエAのインテルへ入団しました。

最初のシーズン開幕後、すぐにレンタルされる予定だったが、プレシーズンマッチでレアル・マドリードと対戦した際に決めたFKを見た当時のエクトル・ラウル・クーペル監督が、しばらく手許に置いておきたいと申し出、レンタル移籍は半年見送られました。

その時のFKはアドリアーノ本人もベストゴールの1つに挙げています。

その後、ACFフィオレンティーナへレンタル移籍し、1年でインテルへ戻りましたが、今度はパルマFCへ移籍しました。

パルマでは、アドリアン・ムトゥ、中田英寿と共に前線を形成し得点を量産、その活躍が認められ、再びインテルへ移籍しエースに成長しました。

2004年コパ・アメリカと2005年FIFAコンフェデレーションズカップでは、得点王MVPに選ばれるなどの活躍で、同国を優勝に導きブラジル代表におけるポジションを確固たるものとしました。

しかしその後、イタリアでは2006年、2007年と2年連続で年間最悪選手「金のバケツ賞」を受賞、2008年にも3位にランクされました。

また、2010年末には3年ぶり3度目となる「金のバケツ賞」に選出されました。

アルバロ・レコバ

元ウルグアイ代表。ポジションはフォワード。東アジア人のような顔立ちをしていることから、チーノ(el chino)の愛称で呼ばれ、背番号20が気に入っています。

ダヌービオFCでプロキャリアをスタートさせると、1996年にウルグアイのナシオナル・モンテビデオへ移籍。ここでの活躍が評価され、欧州ビッグクラブからも注目される存在となりました。

1997年にインテル・ミラノへ移籍。8月31日、ホームのブレシア戦でデビューを飾ると試合終了間際10分間で2得点を挙げる活躍を見せました。

長年クラブの会長を務め、インテルのパトロンであるマッシモ・モラッティはレコバの大ファンとして知られており、レコバは全盛期に数多くあった他クラブからのオファーをことごとく断っていたというので、「モラッティの秘蔵っ子」ともしばしば称されていました。

その後は暫くは出番に恵まれずヴェネツィアにレンタル移籍しましたが、ここで本領を発揮。19試合で11ゴールを決め、セリエA残留に貢献しました。

1999年にインテルに復帰し、2001年1月には2006年までの5年契約を結びました。この間、ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマ、ロベルト・バッジョ、イバン・サモラーノ、クリスティアン・ビエリら多くのFWが加入しては去っていったが、激しいポジション争いを潜り抜け、インテルの中心選手の一人として活躍しました。

エステバン・カンビアッソ

元アルゼンチン代表。ポジションはミッドフィールダー。愛称は「クチュ」。本職であるボランチやセントラルハーフの他にセンターバックでもプレーできます。

1996年、15歳でレアル・マドリードに移籍し、レアル・マドリードBでプレー。経験を積むためにアルゼンチンのCAインデペンディエンテとCAリーベル・プレートにレンタル移籍をした後、2002年にレアル・マドリードへ復帰。銀河系軍団と呼ばれたチームにおいてクロード・マケレレと共にピボーテとしてチームを支えました。

2004年夏にインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍。1年目からレギュラーを獲得すると、ハビエル・サネッティやフアン・セバスティアン・ベロンら同国人と共に2004–05シーズンのコッパ・イタリア制覇に貢献。

2008-09シーズン開幕直後はDFの大量離脱に伴い、一時的にセンターバックの位置でプレーしました。

ジョゼ・モウリーニョ監督の下で三冠を獲得した2009-10シーズンは、チャンピオンズリーグ決勝トーナメント一回戦ファーストレグでチェルシーFC相手に決勝ゴールを決めました。

インテル入団後は、怪我で長期離脱した2006-07シーズンを除いて毎シーズン30試合以上に出場しており、チームの重鎮の一人でした。

アルゼンチン代表としては、1997年に16歳でU-20アルゼンチン代表の一員としてワールドユース選手権に出場し、フアン・ロマン・リケルメ、ワルテル・サムエルと共に優勝を経験しました。また、1999年の同大会ではキャプテンを務めました。

2000年にフル代表デビューし、2004年にユース時代から自身を知るホセ・ペケルマン監督が就任すると代表に定着しました。

ユーリ・ジョルカエフ

元フランス代表。ポジションはフォワード。父親のジャン・ジョルカエフも元フランス代表のサッカー選手。

1984年、フランス2部リーグ・グルノーブルでキャリアをスタート。その後ストラースブールを経て、1990-91年シーズンの途中にアーセン・ヴェンゲル監督率いるASモナコに移籍。

1990-91年にはクープ・ドゥ・フランスのタイトルを獲得、特に1993-94年には20ゴールで得点王のタイトルを獲得チャンピオンズリーグ準決勝進出にも貢献しました。

1995-96年にはPSGに移籍しUEFAカップウィナーズカップ獲得に貢献、翌1996-97年にセリエA・インテルに移籍、移籍初年度から11ゴールを決め、1997-98年にはUEFAカップのタイトル獲得に貢献しました。

フランス代表ではU-21代表を経て、1993年10月13日イスラエル戦でデビュー、1994年2月16日イタリア代表との親善試合で代表初ゴールを決めました。

ワールドカップと欧州選手権にそれぞれ2回ずつ出場。地元で開催された1998年のワールドカップ・フランス大会と、2000年のUEFA欧州選手権で優勝に貢献しました。

ウイイレアプリ2018に登場したレジェンド選手一覧はこちら

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